夢祐斎ニュース


夢黄櫨染(ゆめこうろぞめ)のルーツは、太陽の光によって染色が変化する日本最高位の染「黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)」にあります。平安時代初期、「黄櫨染」は、嵯峨天皇の詔により「天皇のみが第一礼装として着用する御袍」と定められ、それ以降、約1200年の長きにわたり、天皇側近の少数の人々以外の目に触れる機会がなく、正確な染色法も一般には知られていないことから、染の世界では「幻の染」と呼ばれていました。
夢黄櫨染は、歴代天皇が実際にお召しになっていた「黄櫨染」を、染色作家であり、古代の染や新しい染を研究することにも情熱を傾けていた奥田祐斎が特別に調査する機会を得、その謎を解き明かして現代に再現するとともに、その再現過程で得たノウハウを基に独自の染色技法を考案し、新たな5色の色変化バリエーションを加えた日本独自の染です。
夢黄櫨染という名前は、現在も天皇陛下が黄櫨染(こうろぜん)を第一礼装としてお召しになっておられることから、そのままお使いさせていただくのもおこがましく、奥田祐斎の「日本独自の芸術文化を昇華させて行きたい」という夢を一つ叶えていただいたお礼の意を込めて「夢黄櫨染(ゆめこうろぞめ)」とさせていただいています。
日本の美意識の集大成ともいえますこの染を、一人でも多くの、きもの、日本文化、そして自然美を愛する皆様にお召しいただけましたら私たちは喜びにたえません。

 


黄櫨染(こうろぜん)とは
世界が紫を最高位の色と定める歴史の中にあり、ひっそりと衣の内に光る
太陽の染を最高の色とした日本人の美徳。
歴代天皇がお召しになった黄櫨染を慎重に調査する奥田祐斎。
世界で最も高価とされている貝紫による染。
写真の染は 奥田祐斎が、メキシコ海岸でアクキガイ科の
貝殻を用いて染めた作品。

奥田祐斎が再現した黄櫨染。上の写真が通常時(室内や曇空下)の状態で、その表面の色は、写真の様な金に近い褐色。
太陽光を当てることで下の写真のように表面が赤茶色に変化する。
黄櫨染に外側から白熱光を通すと、その内側には日本の太陽の色が連想される赤が浮かび上がる。

世界最高の染と色
古来より貝紫(帝王紫:ていおうむらさき)を用いた染は、世界一の染と言われており、紀元前より世界の王族がこぞって着用していました。
日本においても、聖徳太子の時代に定められた位階制度、冠位十二階により「紫」が最高位の色と位置づけられ、都が奈良から京に、時代は桓武天皇の平安へと移っても、平城天皇の時代までは紫を高貴な証と定めていました。
しかし嵯峨天皇の時代に入り、突如、日本だけが『黄櫨染(こうろぜん)』を最高位の色(染)と定めることになります。
天皇だけに許された染
日本紀略によれば、弘仁11年(820年)2月、嵯峨天皇の詔により黄櫨染は、天皇だけが即位の大礼や大嘗祭など、重要な儀式の際にのみ着用できる第一礼装となり、以来、歴代天皇陛下だけに許される最も厳格な絶対禁色と定められました。
歴代天皇がお召しになった黄櫨染は、秘仏の聖徳太子像がお召しになり、その後、代々の黄櫨染と共に京都・広隆寺に保管されるため、皇室の中でも天皇側近のごく限られた人にしかその染は知れることがなく、一般の人が目にできる機会も少なかったことから、黄櫨染は、世界に広く知らしめた貝紫の染に対し、隠れた染と称されています。
また最高位の色が「紫」から黄櫨染に変わったことも大きな謎であり、研究の起点にもなっていました。
黄櫨染の調査と再現
黄櫨染の調査が許されたのは1990年。日本古代の染や、独自の染を研究していた奥田祐斎は国学院大学の協力のもと、染色研究者として初めて黄櫨染を特別に調査する許可を得、実際に黄櫨染御袍を目にします。そしてその調査の際に、黄櫨染が光によって色が変化することに着目。「延喜式」に残されていた数行の資料を頼りに解析研究を進め、試行錯誤を重ねた末に、1992年、ついに謎とされていた「幻の染」を現代に再現することに成功いたしました。
耀変性(ようへんせい)
黄櫨染の表面は、太陽の光を浴びることにより金茶色から赤茶色へと変わります。
強い太陽光を浴びた部分の色は、織り目により微妙に差のある赤茶色の光沢感が混じり合い、さながら宝石のように、女性の心を引きつける最高級の色目へと変化いたします。
太陽の染
そして黄櫨染に光を透過させると、その内側には茜が美しい、日本の太陽の色が浮かび上がります。
この色を目にした時に、奥田祐斎は日本最高位の色が「紫」から「黄櫨染」に変わった理由が少し理解できたかもしれないと語っています。
表面に派手な色を誇示するのではなく、全生命のエネルギーの源ともいえる日本の太陽の美しさを、衣の内側にひっそりと宿す謙遜性と神秘性には、日本人の感性に通じるものがあるのではないかと奥田祐斎は考えました。
黄櫨染の染色材
櫨(はぜ)・蘇芳(すおう)、紫根(しこん)の三種類の調合で酢と灰の媒染材を用います。
奥田祐斎は、「延喜式」による、縫殿寮より、綾一疋、櫨十四斤、蘇芳十一斤、酢二升、灰三斛、薪八荷、帛一疋、紫草十五斤、酢一升、灰一斛、薪四荷との記載だけを手がかりに、水質まで思考を重ね再現に成功しています。
 

日本が生み出した至高の美を次代へ、そして世界へと伝えていく。
夢黄櫨染きもの「ぼたん」の色変化。
マウスポインタを画像の上に乗せていただくと
太陽の光を当てた際の色変化がご覧いただけます。
奥田祐斎作品の特徴の一つである太筆による大胆な柄きものの色変化。左側が通常時の色、右側が強い太陽光にあたった色。
夢黄櫨染に光を通すと、表面の染色に関わらず内側は全て、
日本の 東雲の空、茜色を連想する美しい色が現れます。
きものモデル:女優 岡崎高子(HIRATA OFFICE)

日本独自の染を探し続けた奥田祐斎の夢
現在、日本の伝統文化とされている染織のほとんどのものが、実はその発祥が海外にあり、例えば多くの人々が日本発祥の文化として認識している藍染も、そのルーツは古代エジプであるとされています。
黄櫨染と出会うまでにも奥田祐斎は、染色にかける情熱から香木染、大賀蓮染、天台烏薬による染などを開発し発表を重ねていました。しかし、そうした研究を続ける中でも、一時も途切れることが無かった想いが、日本に生まれたからには、日本独自の最高の染を突き詰めてみたいという夢でした。
奥田祐斎は、黄櫨染の色も、実際に調査をするまでは、中国由来であり、赭黄袍に準じて金茶色に定められたものだと考えていました。しかし、本当の黄櫨染に触れ、光の変化により日本の赤い太陽を宿す染であることを知った時、祐斎は、この染こそが自らが夢見た日本発祥の染であり、日本が世界に誇れる独自の染であると認識を新たにすることになります。
奥田祐斎の生み出した新しい色
そして、国学院大学の協力を得て、学術的検証も行い再現した黄櫨染に、奥田祐斎は、新たな技法を開発し、新しく5色の色変化を追加し、夢黄櫨染として、1992年に発表いたしました。
黄櫨染に出会うことが奥田祐斎の夢の第一歩であったとするならば、夢黄櫨染は、奥田祐斎の夢の結晶であり、結実であるともいえます。
夢祐斎では、約1200年前に生まれたこの日本至高の伝統美を受け継ぎ、次代に伝えていくとともに、日本が誇る独自の素晴らしい染を世界へと伝えていくことが使命であると考え、夢黄櫨染の作品創作を続けています。
 

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