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| 歴代天皇がお召しになった黄櫨染を慎重に調査する奥田祐斎。 |
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世界で最も高価とされている貝紫による染。
写真の染は
奥田祐斎が、メキシコ海岸でアクキガイ科の
貝殻を用いて染めた作品。 |
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奥田祐斎が再現した黄櫨染。上の写真が通常時(室内や曇空下)の状態で、その表面の色は、写真の様な金に近い褐色。 太陽光を当てることで下の写真のように表面が赤茶色に変化する。 |
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| 黄櫨染に外側から白熱光を通すと、その内側には日本の太陽の色が連想される赤が浮かび上がる。 |
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| 世界最高の染と色 |
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古来より貝紫(帝王紫:ていおうむらさき)を用いた染は、世界一の染と言われており、紀元前より世界の王族がこぞって着用していました。
日本においても、聖徳太子の時代に定められた位階制度、冠位十二階により「紫」が最高位の色と位置づけられ、都が奈良から京に、時代は桓武天皇の平安へと移っても、平城天皇の時代までは紫を高貴な証と定めていました。
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| しかし嵯峨天皇の時代に入り、突如、日本だけが『黄櫨染(こうろぜん)』を最高位の色(染)と定めることになります。 |
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| 天皇だけに許された染 |
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| 日本紀略によれば、弘仁11年(820年)2月、嵯峨天皇の詔により黄櫨染は、天皇だけが即位の大礼や大嘗祭など、重要な儀式の際にのみ着用できる第一礼装となり、以来、歴代天皇陛下だけに許される最も厳格な絶対禁色と定められました。 |
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| 歴代天皇がお召しになった黄櫨染は、秘仏の聖徳太子像がお召しになり、その後、代々の黄櫨染と共に京都・広隆寺に保管されるため、皇室の中でも天皇側近のごく限られた人にしかその染は知れることがなく、一般の人が目にできる機会も少なかったことから、黄櫨染は、世界に広く知らしめた貝紫の染に対し、隠れた染と称されています。 |
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| また最高位の色が「紫」から黄櫨染に変わったことも大きな謎であり、研究の起点にもなっていました。 |
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| 黄櫨染の調査と再現 |
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| 黄櫨染の調査が許されたのは1990年。日本古代の染や、独自の染を研究していた奥田祐斎は国学院大学の協力のもと、染色研究者として初めて黄櫨染を特別に調査する許可を得、実際に黄櫨染御袍を目にします。そしてその調査の際に、黄櫨染が光によって色が変化することに着目。「延喜式」に残されていた数行の資料を頼りに解析研究を進め、試行錯誤を重ねた末に、1992年、ついに謎とされていた「幻の染」を現代に再現することに成功いたしました。 |
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| 耀変性(ようへんせい) |
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| 黄櫨染の表面は、太陽の光を浴びることにより金茶色から赤茶色へと変わります。 |
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| 強い太陽光を浴びた部分の色は、織り目により微妙に差のある赤茶色の光沢感が混じり合い、さながら宝石のように、女性の心を引きつける最高級の色目へと変化いたします。 |
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| 太陽の染 |
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| そして黄櫨染に光を透過させると、その内側には茜が美しい、日本の太陽の色が浮かび上がります。 |
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| この色を目にした時に、奥田祐斎は日本最高位の色が「紫」から「黄櫨染」に変わった理由が少し理解できたかもしれないと語っています。 |
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| 表面に派手な色を誇示するのではなく、全生命のエネルギーの源ともいえる日本の太陽の美しさを、衣の内側にひっそりと宿す謙遜性と神秘性には、日本人の感性に通じるものがあるのではないかと奥田祐斎は考えました。 |
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| 黄櫨染の染色材 |
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| 櫨(はぜ)・蘇芳(すおう)、紫根(しこん)の三種類の調合で酢と灰の媒染材を用います。 |
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| 奥田祐斎は、「延喜式」による、縫殿寮より、綾一疋、櫨十四斤、蘇芳十一斤、酢二升、灰三斛、薪八荷、帛一疋、紫草十五斤、酢一升、灰一斛、薪四荷との記載だけを手がかりに、水質まで思考を重ね再現に成功しています。 |
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